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自殺者について書こう

2008/06/05 17:06

 

こういうことを書くと、十中八九バッシングされるが、敢えて書こう。

自殺者とは、基本、負け犬である。

良い、悪いという話をしているのではない。ただ『弱い』というだけの話である。事情のない自殺者などいないだろうから、当然このナントカさん(良く知らない)にも自死に至るだけの本人なりの理由があったのだろう。人間の死とは『消滅』でしかないが、まぁ人間誰しもいつかは死ぬ。生きている時間を苦痛としか感じない人間ならば、さっさとその過程を短縮してしまおう、という発想は、それなりに合理的とさえいえる。

反面、人間は動物であり、つまり生物である。

生物とは、原因不明に生まれ、訳も分からず死んでいく存在だ


何故生まれたのか、何故生きているのか、そして何故死ぬのか? 誰にも分からない。生まれるのは受精卵の細胞増殖だし、死に至るのは体細胞の死滅であるが、そういう短絡的なところとは別に、生命というものの存在意義が謎だ。何しろ、別に生き物などいなくても、地球は何十億年も気ままに自転、公転を続けただろうし、宇宙だってマイペースに拡散し続けた筈。生物が、ましてや人類が発生・存在する必然性が基本的にない

単なる偶然で生じた現象、と仮定するなら(科学的に考えると、どうしてもそういう解釈とならざるを得ないが・・・)、『生きる』とはとても奇妙なことである。その中で、生き物は死を嫌忌し、ただひたすらに生き延びようとする。『本能』だが、大脳進化に特化した霊長類の変異種・・・・・・すなわち『人類』だけが、自らの意志でそれに反逆する。

ネズミの集団自殺、などというアポトーシスとは全く別の、DNAの命令とはまったく無関係の、意志による自死。その所以は、結局のところ、人間だけが幻想なるものを懐き、そして人間だけが絶望を覚える・・・・からではないか。

願望、期待、夢想、将来・・・・
それらは全て幻想である。
そうした幻想がうち砕かれた時、
普通、人間は高い確率で『絶望』するように観察される。


しかし、何にせよ、人間とは『生きていてこそ』という側面が断固としてあるのは否めない。
何しろ、生きていなければ『絶望』すらできないのだ。

その意味で、この彼女は『弱かった』という結論となる。
繰り返すが、『良い』『悪い』といった話をしているのではない。
ただ、ひたすら『弱かった』だけ。

世の中、どこまで進歩しても結局は弱肉強食である。・・・あるが、それでも野生世界のそれと比べれば、日本内の生存競争などチョロイものである。野生動物に健康保険はない。年金もない。基本的人権もないし(獣だから当然だが)、ましてや選挙権などもない。そんな生ぬるい世界でなお生き延びられないというのは、いささか以上生物として弱すぎる、と指摘せざるを得ない。

もっとも、精神疾患(鬱病など)による突発的自死というのもあり、今回の彼女が『ソレ』であった可能性も低からずある。でも、死んでしまっては、それさえ結局分からない

個人的意見を言えば、こうした自殺者には、その原因が何であれ、反面教師以上の価値を見いだせない。

自殺とは、『自分』という人間の命を奪う殺人である


故に、自殺者に同情はあまりない。

酷薄だろうか?

わたしは決して断じて『善い』人間ではないけども、
せめて偽善者にだけはなりたくない。

自殺者に憐憫を催すのは、安易な小善であり、間接的な自殺の美化、賛美だ。

その上で更に書くなら、日本人の『高い自殺率』は、社会にとっての脅威である。先進諸国で比べても相当高い比率で、毎年ガンガン自殺している。全てではないが、多くの自殺者は『絶望』して死ぬ。つまり、絶望という名の幻想とともに溺死している

我が内に浮かぶ感情は軽蔑、とりあえずはこれだろう。

自分の命も大切にしない者が、他人の命を大切に思える道理がない。口先ではナンとでも言えるだろうが、本心のところというなら、「他人などどうでも良い」ではないか?

そういう開きなおりを、わたしは嫌悪する。どんなに惨めであっても、過酷な生を続ける者の方が、何億倍も敬意に値する。

わたしが肯定するのは、辛うじて評価するのは、「他人の為に自殺する人間」ぐらいだろう。誰かを守る為に自ら死ぬ、誰かの代わりに自ら死ぬ・・・。ちなみに、『借金を返済する為』というのは、わたしの基準からすればペケ。そういう人間は尊敬できない。死ねば何でもリセットできる、という、その浅ましさにおぞましいものすら感じる。

将来、自分が寝たきりの老人になり、周囲に多大な迷惑をかけないと生きられない身体になったとする。そうなった場合・・・・・・そこまで長く生き延びる自信は正直ないが・・・・・・わたしならさっさと自らの身を処分するだろう。ま、痛いのは嫌いだから、何か手段を見つけて“安楽死”といったところか。

「もう充分生きた。懸命に走った。そろそろガソリンが切れてきた。仕舞(しま)いにしよう」

詰まるところを書くなら、自殺するのにも資格が要る、という主張だ。

世の自殺者の多くに、果たして“殺人者”となるだけの理由はあるのか?

反論は幾らも受け付ける。

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 社会

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コメント(6)

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2008/06/05 18:10

Commented by chamomile さん

こんにちは♪ お久しぶりです。

有名人が自殺すると、何かと原因を探ってその死を美しい悲劇として報じたがる傾向がありますが、それは違うんじゃないかと感じてしまいます。美しい悲劇だと感じるから、ミュージシャンが自殺すると安易に後追いしようとしたり。。。

最近は巻き込み型の自殺が多いのもちょっと怖いですね。誰でもいいから殺して死刑になろうだとか、通行人が多いところでの飛び降りだとか、最近騒がれている硫化水素だとか。。。先日なんて、近所で硫化水素自殺未遂があって大騒ぎでしたし。。。

あ、でも、新生児を目の前で殺されたうえ、怪しいと疑われた女性が自殺したときは同情しました。

 
 

2008/06/05 18:36

Commented by KL さん

こんばんは。KLです。お久しぶりです。大変ご無沙汰しましたが(苦笑)

戦争を悲劇化するのも一種の『美化』です。自殺というモチーフを扱う場合にあっても、
それと類似の現象がメディアでまま顕現しているように観察されますね。
マスコミが自殺を煽っている、という評は、しかし当然マスコミには載りません。
それでは商売にならないからでしょう。

ただ、こう言うと残酷かも知れませんが、その女性については「同情」まで、わたしの場合行きません。
犯人への憎悪でも構わないので、生きていた方が良かったと思います。
悲劇ですし、この犯人は無間地獄にでも堕ちろと心底想いますけども、
それでも、自分から希望を棄てた人間は、もはや誰にも救えません。

 
 

2008/07/05 20:44

Commented by kirisutohaizuko さん

こんばんは。途中まで読みましたが、お書きになられていることはあまりにも中流的な回答で、ありきたりであり稚拙だと言わざるを得ません。

宗教学や哲学を学んでいないことが明らかであり、然るにこれらは精神論、いわんば昔ながらのウサギ跳び論のようなものです。

貴殿が生きている今、2008年は白人社会から、大東亜戦争にてある程度世界の国々が独立しましたが、それでも白人社会のキリスト教が主体になった考えです。

日本人の多くは無宗教論者と言い、また新興宗教を叩きます。私も無宗教論者ではありますが、さまざまな宗教を学び結果キュルケゴールのように、たどりつけない不安とともにうらやましく感じております。

さて、話が脱線しましたが白人社会のキリストの概念はイスラム教でもそれを認めております。仏教でもそうです。唯一といっていいほど、いまだにキリスト(キリストとは預言者でありイエスキリストはあくまでも認められていてその名になり、全般でいえばナザレのイエスになります。)が現れていないと定めているのがユダヤ教です。ちなみに米国の優秀大学院生の25%がユダヤ教に改宗している事実もあります。

 
 

2008/07/05 20:45

Commented by kirisutohaizuko さん

続きです。

そのキリスト教ですが、ご存じのとおりアダムとイブ(エヴァ)が禁断の木の実を食べたことによりエデンの園を追放されます。そしてエデンの東には(はいジェームスディーンですね)ケルビムという天使が配置され、炎の剣を常にぐるぐるまわしています。

これを人間の原罪といい、それを贖罪するためにはどうするのかといえば、聖なるものを十字架にかけ、その血を大地に垂らすことによって贖罪されるとあります。ちなみにもう一つの禁断の実、生命の木の実を食べると人間は神になってしまい、それを恐れるがためにエデンの園は封印されました。

これらのことが起こったのが紀元0年です。

そうですね、要するにこの世は宗教がつかさどっているわけです。古い宗教は悪くない、新興宗教は悪い。
えーちなみに「教祖になると儲かるからおれもやりたい!」なんていう輩もいますが、本当にすべての宗教を論破し尚且つ、まだ見ぬキリストが自分だと訴えているのがほとんどの新興宗教です。こんな理屈すら知らない人が多すぎますね。

まあ割愛いたしますが、宗教学、哲学的、生物学的、なんでもいいですけどね、自殺者の多くは自分のDNA、いやこの嫌悪する親、兄弟、そして自分の血を絶やしたいと願っているものも多く、人間は知能が発達しすぎて考えて考えて、この頭がまわりすぎて、止まらないのが怖い(これらは私自身ですね)などなど、そんな浅はかではありませんよ。

このような重い題材を取り上げるのであれば少なくとも勉学、鍛練の上に公表していただきたいです。なぜならばヤフーからすぐにリンクでこれたからです。

あまりにも稚拙だと言わざるを得ません。

 
 

2008/07/05 20:51

Commented by kirisutohaizuko さん

私たち人間は知識の渇望という強迫観念から逃れられない!!

ただ、その知識の渇望の少ない、いわゆる原罪の薄い者にはわからないであろう、この苦悩。

私は生まれながらにして早くゴールにたどり着きたい。この気持ちがわからない人たちは、やさしい親、その他、よい環境で過ごされたと思う。私は幼少の頃より恐怖に慄いて育った。

 
 

2008/07/05 21:26

Commented by KL さん

こんばんは。KLと申します。

反論のほど、誠にありがとうございます。いえ、反論らしい反論が来なかったので、「ハズしたかな?」と思っていたところでしたので、無事にこうした流れとなり、悦ばしい限りであります。余計な修飾は読み飛ばすとして、kirisutohaizukoさんの主張は以下の通りであると読み受けました。

・この世は宗教が司っている
・我々は『知識の渇望』という強迫観念から逃れられない


・・・・・

すみませんが、意味が分かりません。

現在21世紀地球人類が宗教(主に言うならアブラハムの宗教)にマインドコントロールされている、というのは良く分かりますし、ヒトが『知識の渇望』に迫られているという実相もよくよく理解し得るところなのですけども、それが一体どういう反論に結びつくのか、当方まったく理解しかねるところなのであります。

願わくば、もう少し人間界の言語にて噛み砕いたご解説のほど戴けると有り難いのですが・・・

 
 
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